2011年10月12日水曜日

全生園となつかしさ

 建設中の現場を巡回した帰途、駅までの道すがら同行していた同僚が付近に土地勘があり近道として選んだのは、国立ハンセン病療養所・多摩全生園を通り抜ける道でした。
 
 住宅の開発が進む東京のなかで比較的緑の豊富な東村山市にあって、約3万本と際立つ植樹の豊富さと約35ヘクタールの敷地に建てられた平屋建ての連棟長屋は、昭和初期の日本の街並みを思い起こさせます。
 1996年のらい予防法の撤廃からまだ15年、そんな身近な時代にここで強制収容が行われ様々な悲劇が生まれていたことを、今この場所で想像するのはたやすくありません。
 隣棟間隔が大きいためしっかり土地に届く太陽とそれを受け止める緑、簡素であっても長く愛着をもって住まわれている家々が生み出す穏やかな時間をここでは感じとれます。
 休日には付近に住む家族が公園として憩い、春には桜の名所として集う人々も数多いと聞きます。
 ここでの時間の流れをとても緩やかに感じるのはなぜでしょうか?
 
 この場所を訪れた宮崎駿氏は巨きな桜の木の生命力に圧倒されたといいます。(2002/4/20朝日新聞朝刊「全生園の灯り」)
 これに近い感覚を別の場所で感じることもあります。埼玉であれば松原団地のような住宅整備公団が建てたコンクリート造の団地が立ち並ぶ場所には必ず同じく樹齢を重ねた立派な木が佇んでいます。建物は老朽化するなかで合い反して緑はより生を謳歌しています。建築計画に沿った日照時間を確保する隣棟間隔が生み出す配置は、緑に対して確実に効果を発揮したことを証明しています。ただしそれらを管理しているのはそこに住む住人ではなく、管理する側から依頼された人々です。そこには残念ながら生き生きとした住まいと自然の関係性は持続していません。
 一方全生園には、自治会の中に緑化委員があり「一人一木運動」があったほどと聞きます。生きた証を緑に残そうとする素朴で強い思いがそこには込められていることでしょう。自然と人が同じ世界を構成する一員という共感意識が生まれていたのではないかと感じます。
 
 もののけ姫に関わっていた頃の宮崎駿が出会った全生園の緑は、人と自然(動物)が「支配するー支配される」といった対立項としてある以前のいにしえの時間軸に近いかたちで生み出されていたからこそ、なつかしさを私たちに覚えさせてくれるのではないでしょうか。

2011年9月27日火曜日

すまいへの愛

 長く愛着をもてる家って、どんなすまいなのでしょう。

 風通しがよくって、明るくて、居心地がよくて、安心感をもてて,などなど数え上げれば、多様な場所と様々な文化がある中で答えは無限に拡散していくようにも思えます。そんな中で私たちは、なるべくならデザイナーとして独りよがりな姿勢は避けたいと願ってすまいを提案しています。誰しもが、新しく建てられたすまいを、我が子の誕生のようにその存在をまるごと承認するかのごとく、自然でさり気ないたたずまいをすまいに与えることができたならと切望します。
 
 それでは、赤ん坊が皆から惜しみなく愛されるのはなぜなのでしょうか。愛くるしい笑顔だから?数々の理由を並べてみても言い尽すことはないことでしょう。ただひとつ確かなことは、赤ん坊はまわりの環境を映し出す鏡だということです。生後一時間に満たない新生児が大人の顔真似をしたという報告もあるようです。赤ん坊は絶対的な自立した存在ではなく、自分を含めた周囲の状況を身体的に受け入れそのまま相手に投げ返し、そこにある関係性をそのままかたちとして定位しています。私たちは生まれてきて間もない赤ん坊を前にして、自らの投影だとは気づかないまま、人類が歩んできた時間の厚みを逆説的に感じているように思えます。

 量の不足が決してあるわけでもないこの国で、それでも住宅に価値があるのだとしたら、私たちはすまいづくりを通して、太古の人類も同じように目の当たりにした家のかたちが立ち上がる風景に出会い、そこで育まれる生活とともにすまいの成長を愛をもって見続けるからかもしれません。

2011年9月23日金曜日

Alle Erde 全地~神奈川県立近代美術館 葉山より~

  御用邸に近い旧高松宮邸跡には,神奈川県立近代美術館 葉山が建設されています。南西の一色海岸から北の三ヶ岡山に向けて広がるL字形のオープンスペースに面したこの美術館で、60年の歴史ならではの「現代美術の展開」というコレクション展が10/2まで開催されています。
 海外作品による企画展が震災により困難となりその代わりの展示ではありましたが、今あるこの現状から何が発見できるのか、主催者側鑑賞者側の双方が問われることとなり、場所と歴史を内省させる静かながらも骨太な内容でした。

 中でもアブラハム・デイヴィッド・クリスチャンによる、「Alle Erde 全地」をテーマとした作品群は秀逸な印象を与えてくれます。紙と鉛筆と土、素朴な材料を使いながらも、精神の核心まで世界の手応えを届けようとする彫刻やドローイングの試みは、ニューヨーク、デュッセルドルフ、葉山を創作の場としている作者ならではの場所に対する鋭敏な感性を伝えてくれます。葉山という土地に根ざしたからこそ成立したかに感じられるこの美のかたちが、もし別の場所に展示されていたならどんな風に受け止められるのでしょうか。

 ‘世界’と呼んでみても、そこに万人がある共通のイメージを抱くことは少なくなってきている時代かもしれません。それでもかろうじて身近に触れ共感しやすい土や紙を使いながら、単純明快な美を彼は構成しているかに見えます。
 Alle Erdeの中のひとつ’アフリカは世界である’と題されたオイルスティックと紙によるシンプルで力強い筆跡からは、たまたまわたしたちがいるこの場所から世界は地続きなんだという、当たり前といえば当たり前の、決してお仕着せではない驚きが伝わってくるのです。

2011年9月9日金曜日

幻の美術館~清春芸術村と谷口吉郎~

 同人誌・白樺のなかで「いくら小さくても気持ちのいい、本物のわかる人が見て喜んでくれる美術館を建てたく思う・・」と綴ったのは武者野小路実篤です。それに共感した吉井長三氏により実現された美術館が山梨の長坂にあります。
 
 そこは清春芸術村と呼ばれ、著名なデザイナーによりいくつかの美術館・アトリエ・図書館などの文化施設が建設されています。谷口吉生・吉田五十八・安藤忠雄・藤森照信といったスター建築家による建物をより魅力的に見せる基本設計は谷口吉郎氏と聞きます。
 
 敷地は廃校になった木造の小学校があった比較的小高い場所です。そのためか、建物の配置は元の校庭らしき広場に並ぶ群と、少し段差をつけた校舎跡に並ぶ群とに分かれます。前者はそれぞれの建物に序列がなく彫刻を並べるように配置され、後者は建築計画的に建物の関係性を意識した配置となっています。校庭での遊びのルールは子供たちの自主性にまかせ、教室では模範となる規律を示しているとでもいえましょうか。
 
 谷口吉郎氏が遺した意図は、学校という場が持つ空間構成とそこで営まれる社会活動を抽出することであったように感じられます。空間とアクティビティとの相関関係を客観的に描写することで、芸術村自体がひとつの学校、ひとつの美術館、ひとつの社会と見立てる視線を獲得できるかもしれません。その先に、社会そのものが自立した美を体現する個人や組織の集合体にいつかなりうるという希求がこめられているようにも思えるのです。

2011年8月14日日曜日

記憶の再生産〜カフェという場所〜

 あるカフェから眺める藤棚とプールが鎌倉を訪れる楽しみのひとつとなっています。

 鎌倉駅から西に三分ほど歩くと木造二階屋をリノベーションしたギャラリーヨコがあり、その並びには軒の低さと深さの特異な印象のスターバックス御成町店が位置しています。フクちゃんでお馴染みの漫画家・横山隆一氏の住まいとアトリエがあった場所に、遺族の想い出を残すため保存プロジェクトが起こりました。結果、このスターバックスとギャラリーヨコが生まれ、ふたつの建物に守られる形で藤棚とプールのある小さな庭が公となったそうです。

 設計はこのプロジェクトのために組織されたコトペースという建築デザインチームが行っています。庭に対して軒を下げることで伸びやかなプロポーションをもたせ、軒の出により光の陰影による効果を与え、杉の縁甲板で室内外の軒裏を統一させることで大屋根に包まれる安心感を生み出し、軒先のハイサイドライトから見通せる御成山への借景により街の中での存在を確認できます。

 初めてなのになぜか懐かしい居心地を感じさせてくれたり、いつ来ていつ立ち去っても気兼ねのない公園のようだったりするのがカフェという場所かもしれません。横山家の庭には、良質なカフェがもつ空気感を品格として備えた魅力的な隣人が数多く訪れたことでしょう。
 その記憶が個人の中で薄れていくものだとしても、別の用途や目的で利用されていくのだとしても、場所が自身のもつ可能性を最大限に生かされていくならば、上質な空気感が人々に提供され共感され続けていくのかもしれません。

2011年8月8日月曜日

佐々木敏光〜デザイン=生活〜


 6ヶ月になる我が子のためにと椅子を探していたところ、自分の子に使わせたい家具として佐々木敏光氏がデザインした子供椅子、New BAMBINI が目に留まりました。肘掛けと脚がひとつながりの弧をえがき、それが90度回転することで遊具としての木馬へと変化します。
 
 この椅子を子供の目から眺めたなら、たまたま食事の時に腰掛けるものが椅子とよばれているだけだということに気付かされます。ダイニングテーブルだって宿題をそこですれば勉強机ですし、ソファだってゴロンと横になったまま眠り込んでしまい朝を迎えたならベッドと呼んでもよいのかもしれません。
 
 ひとつの使い勝手に限定されずに、まずそこにある生活を受けとめられるのかが、よい家具の条件のひとつでしょう。モノにどれだけの力があるか、が佐々木氏のものづくりの信条と聞きます。多面的で変化に富んだ生活に向き合いながら、デザイナーという立場からの視点だけでなく、我が子の家具という使い手からの目線があった時初めて、モノが主役として振る舞うことを可能とするダイナミックで活動的な生が育まれるのではないでしょうか。

 デザインという言葉が氾濫している昨今、デザイン⇒生活でも生活⇒デザインでもなくあくまでデザイン=生活という地平を佐々木氏は見据えていたようです。

2011年7月22日金曜日

倉俣史朗とエットレ・ソットサス展~感性の総和が愛~

 六本木ミッドタウンを取り囲む環状の道路のさらに外側にミッドタウンガーデンと呼ばれる緩やかに傾斜した緑地帯があります。その一角にいくつかの三角形を組み合わせた隙間がたまたま展示スペースになったかの印象をあたえる美術館21_21DESIGN SIGHTがあります。ここで7/18まで倉俣史朗とエットレ•ソットサス展が開催されていました。
 倉俣史朗、エットレ•ソットサス共に1980年から90年代にかけて活躍したデザイナーで、没後もその独自性のある感性が今も世界中の幅広い世代に刺激を与えている希有な存在です。
 倉俣氏は1996年の巡回展が記憶に新しいかもしれませんが、ソットサス氏は知名度に比べその建築からインダストリアルデザインにわたる広範囲な作品群はまだ詳述されていないかもしれません。この二人の出会いは、ソットサス氏がメンフィスと名付けられたデザイン運動への参加を手紙で倉俣氏に呼びかけたことがきっかけだそうです。
 今回の企画展の要は、カチナというネイティブアメリカンが信仰の対象としている存在から、ソットサス氏がインスパイアされて残したドローイングをもとに製作されたガラス製の人形群です。地下に展示スペースがあるこの美術館は、明るい地上から薄暗い地下へと階段を降りていく動作により神聖な心持ちを与えられずにはいられないのですが、そこから続く展示スペースの冒頭に20体前後のカチナが並ぶ風景は、この世でもあの世でもなく静止した宙ぶらりんの時間を私たちに印象づけるものでした。ガラスという素材が、物質でありながらも光の反射や透過によってその物質性を背後に追いやっています。水彩の淡い透明感に満たされたドローイングと実在しているオブジェ、機能とフォルムの関係性を生涯にわたり追求したデザイナーが晩年に描いた日常を超越した存在は私たちに何を語りかけているのでしょうか。
 ここでヒントになるのが倉俣氏が残した「感性の総和が愛」ということばです。
 私たちは日常のコミュニケーションの中で不本意にも誤解や軋轢を生じさせてしまうことがあります。その原因は、目の前の事象から読み取れる情報には限界があり、それ以外にも掴み取れなかった多くがまだ残されており、でも私たちが知り得るのはその中のほんの一部だということに気付かずにいるためかもしれません。相対するものから期待されていることを的確に捉え、ひとつ先にあるシーンを描くことができるよう私たちは、世界を受け止める感性を自由な状態に維持しようと努めています。パターン化された思考の枠組みに縛られずに、ひとが生活していくことへの観察や共感や体験のボリュームを蓄積していくことでしか、相手をおもんばかる想像力は手にすることができないのかもしれません。
 世界を目で見えない不確かさをも含めた視野で眺めることの可能性を、ソットサス氏のカチナは問いかけているようでした。

2011年7月3日日曜日

長谷寺~あじさいの秘密~


 たまたま横浜に住んでいたころに紹介された美容院が鎌倉にあり、この度あじさいの時期というのもあって、そのついでに鎌倉の長谷寺を訪れることになりました。
 
 私の生まれた奈良にもあじさいで有名な矢田寺というのがあります。それぞれの土地であじさいの名所があるのかもしれませんが、私にとってはあじさいといえば矢田寺でしょう、と普段は無意識でいるようでもついつい花をもたせたくなるのが故郷のようです。しかし帰り道には、長谷寺かぁどんな程度のものなのかねと感じていたのもおぼろげになるぐらいに貴重な体験ができました。
 
 鎌倉は海と山に隣接した街並みが特徴ですが、長谷寺はそれらが一望できる観音山の裾野から中腹にかけて境内が続いています。切り立った斜面沿いに散策路が設けられているため、目線をあげたり下げたりしなくとも自ずと視界には丁寧に配置された植木が目に留まりやすくなっています。
 そこから次第に視線は斜面を見上げたり見下ろしたりすることになるのですが、今まで経路沿いのアイレベルでみていた花々がその時、狭められた視角のなかで奥行き方向へ同時に見通せることになります。
 さらに、斜面に植えられた2500株のあじさいは標高の低いものほど気温が高いため枯れ始めており、上位のものほど生き生きとしています。その様が傾斜面を雪崩のごとく一挙に目に飛び込んできます。
 そこには遠い近いの距離感覚だけでなく、時間の遠近感、つまり懐かしさや予感といった感覚を刺激する仕掛けが込められているようです。走馬灯と呼ばれる体験が私はありませんが、この身体感覚はおそらくそれに近いものではないでしょうか。
 
 時間は不可逆なものとされていますが、果たしてそうなのでしょうか?私たちは住まいの設計を通じて、日常に潜んでいる身体感覚の可能性を最大限に活用しながら、時間の不可思議さの秘密を少しづつ紐解くことで、いつか家そのものがタイムマシンに変化していくことを期待しています。

2011年6月22日水曜日

~終わらないアトリエ~パウル・クレー展

東京メトロ竹橋駅を後にし皇居の石積みを眺める橋の向こうに東京国立近代美術館はあります。
パウル・クレー(1879~1940)というスイスのベルンという街に生まれた日本でも人気の高い画家の展覧会がここで開催されています。9年前にも全国を巡回する大きな企画展があり、関東では神奈川の近代美術館が会場だったなとなんとか記憶に残っていますが、同じ画家の16年前の機会となると私もまだ学生かと図録の記録に想い返されるのがやっとというところです。

同じ画家の作品展示といってもその時々の時流に沿った形でテーマ設定(9年前は~旅~、16年前は~クレー家秘蔵~でした。)がなされておりキュレーターの視点の差が時代の無意識を反映していたりするところも興味深いところです。
時代ごとの比較を可能にしているのは、クレーの残した作品群がいつ誰にどのような切り採られ方をしてもその時代の問題意識をあぶりだすに足る懐の深い真の情報を有しているからでしょう。そこには本物と呼ばれるものとそうでないものとを隔てる何かが隠されているのかもしれません。

今回の企画は~終わらないアトリエ~というサブタイトルが付いており、画家がその創作の拠点を移していったアトリエの写真やその創作のプロセスに着目した構成となっていました。会場ではクレーが一度描いた絵を切断したり写し取ったり貼り付けたりすることで新たな作品を生み出していたことを懇切に展示しています。これは現代の価値観で眺めるならコピー機やパソコン上での編集作業のようなものかもしれません。しかしその原点には、大地に種を蒔き水をやり成長させて刈り取る、という太古から変わらず人の生活に密着した永続した行為の連鎖があるように感じとれました。たまたま作品として結実したものが形として目の前にあるだけで、その背景にはこまやかに手入れの行き届いた肥沃な土地が広がっていることが想像されるのです。今回の企画展を通じて発見したクレーの創作の秘密は、彼は作品を作ろうとしたのではなく、まず世界をつくろうとしていたということでした。

わたしたちが素敵だなと思うものは、いつの時代にもその価値を新しく再発見させるような自立した世界観をもっています。宮崎駿のアニメの世界の登場人物が世界中の子供たちの想像力によって日々成長していくように、その世界観はその中に現実の世界と対等に比較できるぐらいの存在感を持っています。そんな世界を生み出すのは並大抵のことではないことは、現実の世界が予測不可能で不確定な危険も抱えておりそれらも含めてひとつの世界を生みす覚悟があるのかと問いかけてみれば分かります。

クレーの絵は、何かが正しくて何かが間違っているといった恩着せがましいモラルや常識とは一線を画し、その場その場で世界の不可思議と対峙しながら毎日を発見していく技術を私たちに伝えてくれているようでした。

2011年6月16日木曜日

daily ware ~イイホシユミコ作品展~

東急自由が丘駅から徒歩10分ほどの緑ヶ丘という街に、yumiko iihoshi porcelain という名のアトリエ兼ショップがあります。ここで6/11~ 6/19まで磁器作家のイイホシユミコさんの作品展が開かれています。

手作りとプロダクトの境界にある作品を作りたいというイイホシさんの姿勢は、わたしたちが所属しているスターディ・スタイルの、設計事務所とハウスメーカーの間にある住まいづくりのスタンスにも共鳴するところが多々あるように感じていました。

その凛とした圧倒的な空気感を発する磁器作品には、鎌倉のオクシモロンというカレー屋さんやスパイラルマーケットといった雑貨屋さんで何度か出会ってはいました。それらは基本的に大量生産を前提としたプロダクト作品でしたが、今回の展示会では、はじめて手作りの作品をみることができました。一品物のデザインがえてして作家性という手垢を作品に残してしまったり、効率やつくり手の利益を優先したプロダクトが使い手に長く愛されなかったりすることへの違和感が創作の原点にあるのだそうです。

その時代の流行や特定の理念にこだわるのではなく、そこに立ち上がる生活のシーンを名づけることをきっかけとして作品が生まれるとも聞きます。今回印象にもっとも残った作品は「冬の日」という名の、縁に放射状の模様が入っている懐の深いスープ皿です。上質な小説や映画がもつ自立した世界観がそこには確かにありました。

今回の展示会名でもあるdaily wareという名の器を妻は購入しました。今わが家のチェストの上にあるのですが、これが驚くことに自宅で眺めたほうがお店で見たときよりよく見えるのです。普段住まいの設計をしているなかで注意するのは、たいていショウルームで見たときにいいなと思って実際使ってみても、なかなかお店で見た印象にはならないことです。販売側の定着させているイメージは実際にそのまま個別の住まいにあてはまらないからなのですが、想像力を働かせて姿かたちのまだないシーンを思い描くことはなかなか難しいようです。

この展示会のためのポストカードにこんな内容のメッセージがありました。人の想いが浮かび上がるように食器だけを展示することが多かったのが、震災後食事をすることのかけがえのなさを感じ、うつわにまつわるものも含めて今回は提案したそうです。

日々人々が何気なく繰り広げている日常の行為の積み重ねが互いを理解する手助けになるという確信を強く感じる展示でした。