東京メトロ竹橋駅を後にし皇居の石積みを眺める橋の向こうに東京国立近代美術館はあります。
パウル・クレー(1879~1940)というスイスのベルンという街に生まれた日本でも人気の高い画家の展覧会がここで開催されています。9年前にも全国を巡回する大きな企画展があり、関東では神奈川の近代美術館が会場だったなとなんとか記憶に残っていますが、同じ画家の16年前の機会となると私もまだ学生かと図録の記録に想い返されるのがやっとというところです。
同じ画家の作品展示といってもその時々の時流に沿った形でテーマ設定(9年前は~旅~、16年前は~クレー家秘蔵~でした。)がなされておりキュレーターの視点の差が時代の無意識を反映していたりするところも興味深いところです。
時代ごとの比較を可能にしているのは、クレーの残した作品群がいつ誰にどのような切り採られ方をしてもその時代の問題意識をあぶりだすに足る懐の深い真の情報を有しているからでしょう。そこには本物と呼ばれるものとそうでないものとを隔てる何かが隠されているのかもしれません。
今回の企画は~終わらないアトリエ~というサブタイトルが付いており、画家がその創作の拠点を移していったアトリエの写真やその創作のプロセスに着目した構成となっていました。会場ではクレーが一度描いた絵を切断したり写し取ったり貼り付けたりすることで新たな作品を生み出していたことを懇切に展示しています。これは現代の価値観で眺めるならコピー機やパソコン上での編集作業のようなものかもしれません。しかしその原点には、大地に種を蒔き水をやり成長させて刈り取る、という太古から変わらず人の生活に密着した永続した行為の連鎖があるように感じとれました。たまたま作品として結実したものが形として目の前にあるだけで、その背景にはこまやかに手入れの行き届いた肥沃な土地が広がっていることが想像されるのです。今回の企画展を通じて発見したクレーの創作の秘密は、彼は作品を作ろうとしたのではなく、まず世界をつくろうとしていたということでした。
わたしたちが素敵だなと思うものは、いつの時代にもその価値を新しく再発見させるような自立した世界観をもっています。宮崎駿のアニメの世界の登場人物が世界中の子供たちの想像力によって日々成長していくように、その世界観はその中に現実の世界と対等に比較できるぐらいの存在感を持っています。そんな世界を生み出すのは並大抵のことではないことは、現実の世界が予測不可能で不確定な危険も抱えておりそれらも含めてひとつの世界を生みす覚悟があるのかと問いかけてみれば分かります。
クレーの絵は、何かが正しくて何かが間違っているといった恩着せがましいモラルや常識とは一線を画し、その場その場で世界の不可思議と対峙しながら毎日を発見していく技術を私たちに伝えてくれているようでした。
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