建設中の現場を巡回した帰途、駅までの道すがら同行していた同僚が付近に土地勘があり近道として選んだのは、国立ハンセン病療養所・多摩全生園を通り抜ける道でした。
住宅の開発が進む東京のなかで比較的緑の豊富な東村山市にあって、約3万本と際立つ植樹の豊富さと約35ヘクタールの敷地に建てられた平屋建ての連棟長屋は、昭和初期の日本の街並みを思い起こさせます。
1996年のらい予防法の撤廃からまだ15年、そんな身近な時代にここで強制収容が行われ様々な悲劇が生まれていたことを、今この場所で想像するのはたやすくありません。
隣棟間隔が大きいためしっかり土地に届く太陽とそれを受け止める緑、簡素であっても長く愛着をもって住まわれている家々が生み出す穏やかな時間をここでは感じとれます。
休日には付近に住む家族が公園として憩い、春には桜の名所として集う人々も数多いと聞きます。
ここでの時間の流れをとても緩やかに感じるのはなぜでしょうか?
この場所を訪れた宮崎駿氏は巨きな桜の木の生命力に圧倒されたといいます。(2002/4/20朝日新聞朝刊「全生園の灯り」)
これに近い感覚を別の場所で感じることもあります。埼玉であれば松原団地のような住宅整備公団が建てたコンクリート造の団地が立ち並ぶ場所には必ず同じく樹齢を重ねた立派な木が佇んでいます。建物は老朽化するなかで合い反して緑はより生を謳歌しています。建築計画に沿った日照時間を確保する隣棟間隔が生み出す配置は、緑に対して確実に効果を発揮したことを証明しています。ただしそれらを管理しているのはそこに住む住人ではなく、管理する側から依頼された人々です。そこには残念ながら生き生きとした住まいと自然の関係性は持続していません。
一方全生園には、自治会の中に緑化委員があり「一人一木運動」があったほどと聞きます。生きた証を緑に残そうとする素朴で強い思いがそこには込められていることでしょう。自然と人が同じ世界を構成する一員という共感意識が生まれていたのではないかと感じます。
もののけ姫に関わっていた頃の宮崎駿が出会った全生園の緑は、人と自然(動物)が「支配するー支配される」といった対立項としてある以前のいにしえの時間軸に近いかたちで生み出されていたからこそ、なつかしさを私たちに覚えさせてくれるのではないでしょうか。
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